「思い込み人生」を歩んできた私だけに、自分で会社を始めたいと思ったら、もうまっしぐらだ。
まずは会社設立だ。不動産会社だから、ある程度の信用は大切だから、有限会社にしよう。でも会社ってどうやって作るの?
司法書士や行政書士にまかせれば、それもできるだろう。しかし起業にあたってお金はなるべくかけたくない。今後、嫌でも出費があるわけだから、なるべく自分でできることはやってみようと考え、私は情報を集め始めた。
そんなときにもネット社会はありがたい。その気になれば、情報はいくらでもタダで集めることができる。見よう見まねで、私は会社の定款をつくり、法務局に会社を登記した。具体的にはどうやってだって?そんなことは、もうとっくに忘れてしまった。嫌なことはすぐ忘れるタチである。とにかく勢いでだけで会社を立ち上げた。
これでオレも社長だ!
教員時代、よく考えていたことがある。
友だちの多くは会社員となり、資本主義社会の中で格闘しているというのに、オレは税金で食べている。一度は外の世界で働いてみたいものだと。そして、自分が小さな会社の社長として働く姿をよく想像してみたものだ。そんな思いがついに形となったことに感動と興奮を覚えるのであった。
やはり思いは叶う!?
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不動産会社として営業を始めるには、宅建業者として、行政の認可が必要だ。私の場合、千葉県知事の許可がいるわけだ。そのためにはさまざな資料の提出を要求される。
それから、東京法務局に営業保証金1000万円を預けなければならない。そんなお金はないから、不動産保証協会の会員となり、60万円おさめれば良しとする方を選択。協会会員になるのに要した費用は約250万円!痛い!これはきつい出費だ。
行政から認可を受けるための準備には、工夫を要した。
事務所が必要なわけだが、さて、どうしょう‥。
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そうそう、会社を登記するにあたってつけた「あ」屋という名の由来についても、説明せねばなるまい。 「あ」屋は屋号のようなもので、会社の正式名称は「有限会社あ文字屋本舗」という。私の親しい知人が名づけのヒントをくれた。現代文字の一番先頭にくる文字が「あ」ということで、縁起もいいし、夢はでっかくNo.1をめざせというわけだ。今ではオンリーワンは確立しつつあるが‥。 最初、「あ」屋とかいて、登記をしようとしたら、かぎかっこは認めてもらえず、かといって、「あ文字屋」ではなにか物足りず、後ろに「本舗」をつけ、落ち着いた次第だ。あ文字屋ときいて、不動産業者を思い浮かべる人はおらず、そのギャップもユニークだということも、命名理由のひとつになっている。 宅建業者の事務所として、行政から認可を受けるにあたってクリアしておかなければならない、いくつかの問題があった。 まず備品。電話、接客用のテーブルとファックス機器。最低これだけの備品は必要とされ、写真にとって提出しなければならない。電話とデスクは安物でもなんとかなるが、ファックスはある程度の代物でないと、今後の業務に差支えが出てくる。また、コピー機も必ずやお世話になる文明機器だ。 そこで奮発して、複合機なるものを使うことに。これは、ファックスとコピー機能が一体となった優れものだ。もちろんパソコンから出力した印刷も可能だ。いいかげんな中古を買って、後々トラブルになるよりは、これだけはいいものを買おうというこで、メーカーのものを購入した。値切りに値切って、確か70〜80万はしただろうか。これも手痛い出費である。 不動産屋を始めようとすると、最低でも300〜350万円はかかるわけだ。これは安いか高いのか。今は、情報起業家として、PC1台で稼いでいる輩もいる時代だが、何のビジネスでも最低500〜1000万の資金が必要となることを考えると、割安な方なのだろうか。 これに加えて事務所を借りるとなると、テナント代が固定出費としてかかってくる。ビジネスの基本は、いかに経費を安くあげるかだと、読みあさった経営書を都合よく自分にあてはめ、事務所は、当時住んでいた貸家の一室をそれにあてることにした。 しかし、それにも条件が必要であった。玄関の扉を開け、事務所と呼ばれる場所にいくまでに、他の居室を通ってはいけないという、なんだか、よく分からない条件があるのだ。 当時の家の間取りから、幸いそれにあたる部屋があったため、その部屋にターゲットをしぼる。玄関を開け、階段を上がったところにある約5帖の洋室だ。 実際の話、ここに接客用のテーブルを置くと、極めて部屋はせまくなる。イヤでも学生時代、自分が住んでいた部屋を思い出す。また夢に出そうだ。 無理やりでも審査に通ればラッキーというわけで、折りたたみ式の机といすをホームセンターで買い入れ、部屋の中央に設置した。普段は折りたたんで、すみにおいておけばそれでよい。 はたして、即席事務所はできあがった。自分のデスクの上に電話を置き、その横に複合機。部屋の中央に接客用デスク。部屋のとびらに、紙に印刷した会社名をペタリと貼り付け、写真にパチリパチリととっていく。なんだか地味であほらしいが、真剣な作業だ。そして、このいう時期が一番楽しかったりするのである。 ------------------------------------
事務所設立にあたり、切実な問題があった。現在の法律では、事務所で働く5人に一人の割合で、宅地建物取引主任をおかなければならいのだ。ちまたでよくいわれる「宅建(タッケン)」の資格をもった人間を事務所に置かないことには、営業することはできないのである。契約を行う前に必ず行う、重要事項説明はこの宅建主任が行うことが決まっているのだ。
会社を作ったところで、宅建主任がいないのでは、不動産会社として、営業を行うことはできない。そこで私は、地元の知り合いの不動産業者にこの件を相談してみた。すると資格をもっている人を紹介してくれるという。だからといって、その人物が事務所で実際に働くわけではない。いわゆる「名義貸し」だ。
名義貸しはひところ頻繁に行われていたらしいが、名義を貸すだけで、実際に勤務しない実態が浮き彫りになり、現在は認められていない。しかし、一刻も早く営業を始めたい私は、その禁断の裏技に手をだすことにした。
宅建免許は月2万で借りることになった。一年で24万は、高いか安いか。ひところは月5万が相場だったことを思えば、かなり割安であったろう。
さてすべての段取りが整い、不動産協会と県に、一切の書類を提出した。後は認可が下りるのを待つだけだ。
そうはいっても宅建の名義貸しのことは悩みの種であった。一月2万円も昔と比べて割安といっても確実な出費であるし、行政からおとがめを受ける心配もある。それより何より、お客への信頼という点において、これはやはり問題アリではないか。
ここは一発奮起して、今年の宅建の試験に挑戦すべきではないのか。時はまだ3月末。試験のある10月までは、まだ7ヶ月近くあるではないか。
ここで出した私の答えは‥
「よーし、やってみっかー!!」
そんなわけで、突然の展開ではあったが、急きょ、宅建合格へ向け、激烈な(?)な猛勉強が開始されたのだった。
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宅地建物取引主任者の試験は、人気がある割には、合格率が低く、ちまたでは難しいとされている試験のひとつだ。不動産業界に属していても、実は持っていない人間の方が極めて多いのが実情である。 さて、勢いに任せて受験を決意したのはいいのだが、一体どこから手をつけていいやら。困った私は、宅建を持っている知り合いの業者にアドバイスを求めた。 その人曰く、「学校に通いなさい」というではないか!私の住むエリアにもある「日●学院」が中でもお勧めだという。確かにやみくもに勉強するより、その手のエキスパートに従うほうが、短期決戦においてはいいのかもしれない。最初は抵抗があったのだが、熟考した結果、4月から9月末にかけて行われる集中講座にかけ込み入校した。
------------------------------------ 授業は週に一度、午後一杯をかけて、みっちり行われる。なにしろ試験に向けた本格的な勉強は、大学受験以来である。脳がいうことをきかず、当初は相当苦しんだ。 実際のところ、大人になってよく分かったのだが、私は勉強は嫌いである。大学時代は、受験勉強の反動から、遊んでばかりいた。目標がないと、勉強する意義を全く感じないタイプである。 「宅建一発合格!」という目標を掲げたものの、たるみ切った脳みそをむち打つために、学校に通うということは、嫌でもその場で学習せねばならない状況を作り出す意味でも大変効果的であったといえよう。 とはいえ勉強はつらい。老体?の身に、受験戦争を乗り切ったような、昔のガッツはすでにない。かといって、楽しくやろうというまでの余裕はさすがにない中、せめてムキになるのはやめようと考えた。がむしゃらに120%勉強したって、落ちるヤツは落ちる。だったら、70%の力加減で、運を味方にして合格したほうがいいのではという発想だ。 かくして、「最低限の努力で合格してしまおう作戦」は開始された!
読んで字のごとく、最低限の努力は必至だ。毎回必ず宿題が出されるし、授業後は、小テストがある。そしてその結果は、廊下に張り出されるというではあーりませんか! 観察していると分かるのだか、学校に通う人間は、大きく二種類に分かれている。本当に合格するつもりがあり、気合の入っている3割の人間と、しかたなしにテレテレやっている7割の人間である。 少なくとも気合の入ったその3割の中には入らないといけない。かといって上位1割に入るのはしんどい。
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通い始めると、自然グループというものができる。学校も意図的にグループで話し合わせるなど、競争心をあおる。 私もなんとなく、3人のメンバーとグループを作るようになっていた。30歳前後の女性二人と、茶髪の若造くんだ。 この3人の取り組みは、見ていてとても興味深いものがあった。最終的に、私を含めたこの4人の中で、二人は天国、二人は地獄を見た‥。 女性は、二人とも不動産関連の会社に勤務しているOLであった。 一人は建築会社に勤める、通称スーさん。とても頭のいい女性で、話していても、とても真面目で、会話がシャープだ。彼女はデキル。 片や町場の不動産屋に勤めるOL、通称カトちゃん。彼女は昔ワルだったタイプで、今更ながらに勉強を始めたが、ついていけず苦しんでいた。 当時、私の弟分であった茶髪の若造くんは、ガソリンスタンドで働く、自称売り上げナンバーワンの20代半ばの男性。彼はやる気を決して前面には見せず、宿題を忘れたり、授業中居眠りをこいていたりした。 毎回行われる小テストでの結果が、それぞれの位置をびみょうにに反映していた。 毎回約100人中の順位が張り出されるのであるが、スーさんは常にベストテン入りを果たす、優等生であった。 私はというと、30位前後をうろうろしていた。カトちゃんは、はるか下の方で、あえいでいた。 意外なのは、茶髪くんで、40位くらいにいたと思えば、私をぬいて、20位くらいに顔を出すこともあった。 宅建の試験とは、50点満点で行われる。当時、合格ラインは35点とされていた。つまり7割の得点をあげれば、まず合格間違いなしといわれていた。 私は点数においても、その35点付近をウロウロしていた。
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問題を解いてみると分かるが、宅建の問題は、読解力と記憶力勝負だ。まず、文章を読んで理解する。そして覚える。 スーさんは、そのどちらも得意としていた。私と茶髪君は、覚える作業を苦手としていた。カトちゃんは‥、読解力がなってなかった。これは致命的であった。部分的に覚えても、文章の言い回しを変えられたら、たち打ちできないからである。 この4人の位置づけは、本番直前まで変わることはなかった。 私はいい意味であきらめていた。何をかというと、完全であることだ。すべてを理解し、覚える能力は自分にないことは、分かっていた。だから分からない、できないことは、バッサリ切りすて、必要最低限の事だけを覚えるようつとめた。 こんな調子で、いよいよ10月の本番を迎えることになる‥。
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いよいよ、本番の時がきた。
会場は、某大学のキャンパスを使って行われる。嫌でも大学受験を思い出す。これじゃ緊張するなというほうが無理だ。 50〜60人は入ると思われる教室。長いすに、一人おきにすわっていく。私は3人がけのイスの左側にすわった。私のあとから、リュックを背負った、今でいうアキバ系のようないでたちの、それでいて髪型はスポーツ刈の30歳前後の男性が、右側の席に着いた。その彼こそが、この試験の一番の障害になるとは、その時はつゆ知らず‥。 だいたい始まる前からイヤな前兆はあった。となりのスポ刈り君は、オタク系だけあって、試験前の参考書のページのめくり方から、イヤミな感じ丸出しであった。すごい音を立ててページをめくるのだ!「パシュッ!パシュッ!」と指が切れるのではないだろうかと、私がつまらない心配をするぐらい、すごい勢いでページをめくっている。ものすごい速さと音だ。実際のところ、緊張で何も見えてないのであろう。機械のようにひたすら!「パシュッ!パッシュ!」とめくるだけだ。 「時間です。参考書をしまってください。」 教官の声が聞こえ、彼は「ふーっ!」を息をつき、参考書をしまった。 「始め!」 いよいよ試験開始だ!隣のオタク君にかまっている場合ではない。 私は、問題に集中し、解き始めた‥と、その時、またしてもスポ刈り君の妨害が始まったのだ!彼はシャープペンの先を机に「カツッ、カツッ、カツッ‥」とやり始めたのだ。 彼は問題を読み、考えている間、シャーペンの先で机をたたき続けた。うーっ、ダメだ!これはとても集中できない。それだけではなく、例によって、ページをめくるときも破れんばかりの「パシュパッシュ攻撃」だ。カツカツとパシュパシュのかなでるハーモニー‥。彼は本当に問題を解いているのだろうか!?ひょっとしたら、真っ白になった彼は幽体離脱して、空を浮遊しているのかもしれない‥。 こういうトラブルの対処法までは、学校は教えてくれていなかった。 「集中だ、集中っ!」私は自分に言い聞かせ、自身の世界に入っていこうと努力した。 途中ふっと気をぬくと、「カツカツ攻撃」が襲ってくる。あわてたのは、学校で解いたこともないパターンの問題が出たときだ。こんな文章パターンは初めてだ!ここでのスポ刈り攻撃は、かなり効いた!オレも真っ白になっていくぅ〜! 途中なんども試験官に注意してもらおうと思った。しかし、逆切れされて、試験どころではなくなるリスクもあり、結局我慢してしまった。 試験終了間際まで、私の悪戦苦闘は続いた。最後の最後まで迷った選択肢‥。終わり数秒前、「えーい、ままよ!」とカンでつけるしかすべはなかった。 解答用紙が回収され、ふぅーと大きく息をつく。ものすごく大きなエネルギーを消耗した。このほとんどは、隣のスポ刈り君のせいだ。イヤミのひとつでもいってやろうかと隣をみたら、彼の姿はすでになかった‥。 私ものんびりしている場合ではない。この後は学校へ戻り、本部が主催する、解答速報会に出席するのだ。そこで自己採点し、点数を知ることになる‥。
------------------------------------ はやる気持ちを抑え、学校へ向かった。 会場に指定された広い教室には、すでに到着している受験生たちが、速報を今か今かと待っていた。 前面にはテレビが映し出され、講師が生中継で、一つ一つ解答していくスタイルだ。この映像は全国の日●学院の生徒たちが、かたずをのんで見守っていることになる。 私も席に着き、使った試験問題を開いておく。もう二度と見たくないのだが、仕方ない。今、問題を見ても、さっぱり意味が分からん。今はただ、丸がひとつでも多く欲しい、そんな気持ちであった。 さあ、いよいよ解説が始まった。説明なんてどうでもいい。問題はどれも4択か5択、正解の番号だけ言ってくれ! 少しずつ問題が先に進んでいく。マル、マル、マル、バツ、マル、バツ‥、うおー、気絶しそうだ!こんな胸のドキドキは、最近では記憶にない!口から心臓はおろか、胃袋までもが飛び出しそうだ。 ‥すべての答えが言い伝えられた。私は震える手で、マルの数を、いや、バツの数を数える。バツが15問以下なら、まず合格だ。 「いち、に、さん…」 うーっ、手が震える! 「じゅうに、じゅうさん‥」 吐きそうだった。 「じゅうよん‥」バツは全部で14コ‥。と、いうことは…。 「やったーっ!!」思わず、席を立ちガッツポーズをしている自分がいた。間違いは14問。つまり点数は36点。合格ノルマは35点といわれていから、まちがいない!合格だあーっ!! どよめく会場内!悲鳴や雄たけびが混在するなか、異様な興奮が体内をかけめぐる。血が沸騰しているようだ。教室を飛び出し、夕暮れの街中を、全速力でかけていきたい気持ちだった。 あたりを見回すと、茶髪の若造くんの姿が。どうだった?とこちらが聞くより早く、「そうささんやりました!38点です!」 なんと!!オレより2点も多くとりやがって。やっぱりお前は天才肌だったんだな。ワハハハーっ!と握手し、肩をたたきあい、喜ぶ二人。今思えば奇妙な連帯感‥。 喜びの余韻にひたっていたところへ、担当の教官が声をかけてきた。 「そうささん、どうでした?」 点数を伝えると、「そうですか‥」と、つれない返事。 「どうやら今回、合格点が上がりそうなんですよ。その点数だと何ともいえません‥。」 おいっ!!そりゃどーいうことだ!!せっかくオレの人生で最後かと思われる、最大の喜びにひたっていたというのに! そんなわけで、正式な合格点数が発表されるまで、合格祝いはお預けとなる‥。 それから正式な合格点が発表になるまで、まったくもって落ち着かない日々が続いた。
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約一週間後であったろうか、合格点が発表された。
その年の合格点は…、
「36点」であった。
私のとった点数も36点…。 「ギリギリ合格」であった。
いやはや何とも、首の皮一枚、ヒヤヒヤものの合格である。
当初、最低限の努力と最高の運で合格するのを目標としていたものの、その年の合格点ギリギリで受かると、運がよかったというより、奇跡に近い気がした。
しかーし!何はともあれ合格は合格。これで晴れて宅建主任だ!
そうそう。記憶力のいい、読者のみなさんもいるだろうから、説明せねばなるまい。
お察しの通り、学校でグループを作っていた4人組のうち、受かったのは、私と茶髪の若造くんであった。カトちゃんの不合格は仕方ないとはいえ、常に学校のテストでもベストテン入りしていた建築会社に勤める秀才OLすーさんが落ちたのは、ある意味事件でもあった。
これから宅建の試験を受けるアナタに言いたい。
「本番では、何が起きるかわかりませーん!」
実際、本番に強い人間とそうでない人がいる。茶髪の若造くんなどは、まさに強いタイプだ。学校ではいつも合格ライン以下で、まわりをヒヤヒヤさせていたくせに、本番では、あっさりと点を取ってしまう。
逆に合格間違いなし!といわれた人が、ものの見事に落ちてしまう…。本当に分からないものだ。
そして、その年の「最低合格点」で受かった私は…。 ほんの1点足りなかったら、地獄をみていたのだ。恐ろしき1点の重み…。 1をなめたらいけません。これからは1円も大切にしていきます…(?)。
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