2001年の夏、私は12年間続けた教師を辞めた。
21世紀をグアムで迎え、その春に任期を終え帰国。日本の現場に戻った私を襲ったのは、なんともいえない空虚感だった。
職場も子ども達も違うのに、新鮮味はなく、全くやる気がない日々が続いた。
私は目標を失っていたのだ。
それでも何とか自分をふるい立たせ、勤務を続けるが、一学期を終えたところでついに限界がきた。
「教師を辞めよう。」
いつかこうなることはわかっていたのかもしれない。
迷いとか不安はなかった。その時の私は「カン違い男」と化してしたのだ。
外国の地で3年生活したことで、自分はもっと何かやれるのではないか、そんな根拠性にとぼしい自信に支えられ、私は校長に辞表を突きつけた。
なにしろ年度途中の出来事である。職場はもちろん、家族や両親は、天地がひっくり返るほど驚いたのはいうまでもない。
妻は泣き、父親は親子の縁を切ると言ってきた。しかし思いこんだらとまらない性格は、自分が一番よく分かっていた。
「思いこみ人生」最大の決断であった。この先どうなるかなんて、正直なところ考えてなかった。ただ、もう教師を続けることはできないことだけははっきりしていたのだ。
教師としてやりたいことは全部やった。このまま目標のない生活を続けるなんて生き地獄だ。「とにかく行動に移そう。まずはそれからだ!」
教師を辞めるきっかけをくれたのが、海外生活最大のリターン?だった。
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学校教師を辞め、いてもたってもいられない私はすぐに就職活動を始めた。なんてことはない、週末新聞折り込みに入ってくる、求人広告から仕事を見つけようと考えたのだ。当時は、すぐ独立起業などとは考えず、まずは就職して営業を勉強しようと考えたわけだ。
どうせ営業をやるなら、以前から興味のあった不動産関係がいいなということで、いくつかの不動産会社の面接を受けた。
当然だが、私を面接した担当はみな面食らっていた。無理もない。前職は学校の先生なのだから・・。不動産の知識もキャリアも資格もない、全くの素人である。しかし、不思議なもので、受けたところは皆、「来てくれ」というではないか。「オレって営業向きなのかな・・」例によってカン違いし始める私であった・・。
迷ったあげく、千葉市にあるちっぽけな会社に入ることに。その一番の理由は、唯一「社長」が面接してくれ、その人柄とパワーに圧倒されたからであった。
しかし、その選択が大間違いだったことに、その時の私が気がつくはずもなかった。
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その男、M氏は大ほら吹きであった。当時私より3歳年下の彼が経営する会社は、とあるマンションの一室にある、ものすごくうさんくさいものであった。社員は事務の女性一人。
彼はキレやすく、小心者であったが、トークだけは、天下一品であった。私が面接時にコロっとやられたのも無理もない。まあ、出るわ出るわ、営業トークの数々。
自称都内でナンバーワン営業マンであった彼は、親の持つ土地を処分するため千葉に出てきて、一旗揚げようとしていた。
バブルの頃、ババを引いてつかまされた郊外にある1000坪の土地を開発し、注文住宅の分譲をやるというのが彼のメインプランであった。私が入社した時は、モデルハウスである一棟目が8割方出来上がっている頃であった。
まずM氏がこだわりの一棟を建て、それをモデルハウスとして客に公開。そこから土地を分譲して、注文住宅を建てさせるというものなのだが、見ていて驚いた。
タウンページを片手に電話をかけまくり、何から何までアイミツを取らせ、一番安いところに仕事をまかせる、オール分離発注だ。ひとつひとつ手探りで、少しずつこの事業は進められてきたのだが、その歩みの遅いことったら・・。こんな素人のようなやり方で家を建てていいのだろうかと、さすがの私も不安になるくらいだった。
しかし家は建った。彼自身が住宅ローンを組んで資金を調達し家を建ててしまうという、驚きの計画。持ち家兼モデルハウスの出来上がりだ。腕のいい大工をやとったせいか、仕上がりは悪くなかった。さあ、これから販売開始だ。
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電信柱などに貼る看板のことを「ステカン」という。立派な違法行為だ。営業方法は、極めてアナログであった。夜中に社長二人でステカンを貼りまくった。「オレはこれで警察にお世話になったことがある。見つかったら走って逃げろ。」真冬の夜中、凍えそうになりながらその話を聞いた時、なんともいえないミジメな気持ちになったのはいうまでもない。
反響はなかった。無理もない。不況のまっただ中である。建てたらすぐ売れるほど、世の中甘くはない。そこでなけなしの予算の中から住宅情報誌に広告を打った。
電話は鳴らなかった。私は思った。「商売は難しい」と。これから先のことが、だんだん不安に思われてきた。このご時勢に教師をやめたのは失敗だったのではないか。というより、こんなに世の中不況だったのかと、今更ながらに驚くのであった。お金の心配なく、自分のやりたいことをやってきた教師時代が、とても恵まれていたことに気づかざるを得なかった。教師を辞めたということが、とんでもないことのように思えてきた。 当時その会社での私の給料は15万円。とても家族を食べさせていける額ではなかった。となれば歩合で稼ぐしかない。一棟売ってナンボという歩合で稼ぐしか、収入をあげる方法はなかったのである。
-------------------------------------- それは休日のことであった。社長と交代で休みをもらっていた私はその日、車の調子が悪く、工場でメンテを受けていた。そこへ会社から携帯へ一本の電話。事務の女性からだ。
「そうささん、反響がありました!」「なぬ!?」 すぐにその場からお客に電話。するとこれから現地へ行きたいという。幸いにも車の修理はそのときには終わっており、着替えさえすませれば、これからでも間に合う。社長のM氏はそのとき会社におらず、なんとしても私が行かねばなるまい。自宅へいったん戻り、車すっ飛ばし現地へ向かうのであった。
お客は、結婚したての若い夫婦であった。緑豊かな場所に戸建を探しているらしい。
なんといっても私にとって最初の案内である。まだ家のことなんてほとんど理解していなかったが、そんなことはどうでも良かった。仕事らしいことができるうれしさの方が勝っていたのだ。いろいろ話をしながら、モデルハウスの中を歩いた。質問もされたが、知らないことは分からない、後で調べておくと答えた。
しかし、まあいい加減なことよ。ついこの間まで学校の先生をやっていた人間が、家の案内をしているんだから。こんなんでお客が買ってくれたら、こんなに楽なことはあーりません。
が、しかし!なんと!驚くことに!しつこいくらいにびっくりマークをつけたいのだが、決まってしまったのである!!この私にとって最初のお客は、契約したいと言ってきたのでビックリするほかはない!
社長も家を建てた大工もびっくりしていた。いったいどうやって口説き落としたんだ?いや特別なことはしていない。きっと運が良かったんでしょう。そう答えた。実際のところ、なぜお客が家を買う気になったのかはよく分からない。最初からその気だったのか、建てた大工の腕の良さを買ったのか、私の営業トークが受けたのか。だいたい営業トークなんて知らないのである。やっぱり運が良かったというしかあるまい。
さあ、これから着工だ!しかしこの後、驚きの展開が待ち受けていることなど、そのときの私が知るよしもなかった。
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図面は書きあがった。さあ着工だというところで、大変な問題が持ち上がった。
当時の建物のウリは、第三者の機関が認める10年保証であった。その機関が今回の建てる現場の地質調査を行った結果、地盤が弱く建てることができないというのだ!
モデルハウスである一棟目は問題がなかったのに、そのすぐ隣に家が建たないはずはない。社長と私は担当者に食い下がったが、結果がくつがえることはなかった。
すでに予算が底をついており、外部に発注するだけの金がなかったので、社長の下した決断は、「自分たちでやろう」、ということだった。で、どうやって?
社長は、なんと!大工の知り合いから、ショベルカー(通称「ユンボー」、なぜそう呼ぶのかは最後までわからなかった)を借りてきて、自分たちで穴を掘り、下に石をしきつめて地盤を固め、地質調査に合格しようと考えたのであった。理屈は分かるが、本当にこんなやり方が通用するのであろうか。はっきり言って素人判断もいいところである。
幸い大工がユンボーを使いなれていたので、動かし方を教わり、私は恐る恐る運転台に上がった。(どうしてオレがショベルカー運転してるんだ?)そう思いながらも、ロボットのように動くユンボーをガタガタいわせて、作業は始まった。本来なら免許が必要なのだか、そんなことは言ってられない。少し練習してすぐに実践作業は始まった。
まるで鉄人28号をあやつるようである。ふたつのレバーを握り、前後左右にそれを動かし、ショベルをあやつる。当然、自分の思うようにユンボーは動いてくれず、それはまさしく素人作業そのものであった。
穴は相当深く掘る必要があった。そう少なくとも2mは。掘っていけば必然的に分かるのだか、あれ程度掘り進めていくと、ユンボー自体が下におりて掘らないと先のショベルが地面にとどかないのである。ここから先の作業は、とても大変なものであった。ショベルの先を使って坂道をつくり、そこを下っており、穴を掘り進め、周辺に積み上げた土を上に上がってすくい上げていく。なんとも気が遠くなるような作業だ。
そして、最大の危機はすぐ訪れた。
それは、積み上げた土をすくうため、ユンボーが上にあがるときに起きた。角度に無理があるなあと思いながらも、土で作り上げた坂を、やや斜めの方向から、上がろうとしたときだった。ぐらっときたのだ!やばいっ、倒れる!そう、ユンボーは急な角度にたえられず、かたむき始めたのだ!私はとっさに倒れる方向へ向けて飛び降りた。誰でもそうするだろう。しかし、考えてみれば、そのままユンボーが私の上に倒れ落ちてくることは、さすがに飛び降りた瞬間、私も気がつき、凍りついた!
スローモーションのようであった。確かにユンボーは私に向かって横倒しになってきた。しかし、奇跡が起きた。上る際、たまたま横に向けてあったショベルが先に地面に突き刺さり、支えとなってくれたのだ。ユンボーは片側のキャタピラがはずれ、なんとも中途半端に倒れかけた格好で、とまったのであった。
それを見上げた私は心底ゾーっとした。下じきになっていたら死んでいたかもしれない。こりゃ素人のやる仕事じゃない。 「辞めよう‥。この会社はもうダメだ。」
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このことを機にすっぱとその会社をやめた。思いつくと行動が早いのは私の特技(?)だ。
私が辞めた後、どうやったのか、会社はその家を完成させ、お客さんに引き渡されたという。ビジネスプランそのものは、行き当たりばったりであったが、大工の腕だけは良かったので、それだけはお客にとっても不幸中の幸いだったかもしれない。
その後、その会社は、自社モデルルームと今回建てた家を最後に事業を中止し、ほら吹き社長は、東京へ帰っていったという。今も広大な土地に、ぽつんと建つ2件の家がある。
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その後私は、教員を辞めて得た退職金と、それまでためていた小金をもって、何を思ったか、ブローカーまがいの活動を始めた。千葉市中の不動産屋を回り、業者が売り急いでいる物件を安く買い取り、転売しようと考えたのだ。
単純な私は、我ながらいい方法だわいと、ほくそ笑みながら、営業を開始した。
けれど、そんな活動も長くは続かなかった。
私は甘かった。タイミングと運さえあれば、いい話がいつくかはあると思っていたのだ。しかし、考えてみてほしい。それまで付き合いのある業者ならともかく、いきなりやってきた、それもちょっと前まで学校の先生をやっていたような人間に、たとえ掘り出し物の物件があったとしても、紹介なんてするだろうか。
門前払いは当たり前。少し興味をもってくれた人も、最後は、こちらの話など聞かず、自分の自慢話に変わってしまうのだから始末に終えない。
しかし、どうして不動産屋というのは、こうも話し好きなんだろう。話の内容も、どこまで本当なのか、分かったものじゃない。不動産屋は「センミツ」といって、千話した中に、本当の話は三つというが、当たらずとも遠からずだ。
そんな無謀な飛び込み営業も、40社を超えたところだった。
やはり看板を見ただけで、ひょいと飛び込んだ不動産屋があった。
扉は開いたが、誰の姿も見えない。しかたない、帰ろうかときびすを返しかけたところ、「ああ、いらっしゃい‥」
ぎょ!誰もいないと思っていたところへ、声をかけられた私は、当然びっくりした。その人物はどうやら、しゃがみこんで何やら配線をいじっていたらしい。立ち上がって振り返ったその顔をみて、またぎょぎょ!!
こわい!こわすぎる顔だ。まさにやくざな不動産屋だ。まるでドラマに出てくるような。服装は派手で、キンキラする腕時計やリングをつけている。
バブルの崩壊と共に、死滅したはずの、古きよき時代の不動産屋がそこにはいた。
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その強面の人物は、そこの社長であった。その社長は、私の話をウンウンとよく聞いてくれた。そして彼が最後に切り出したセリフは
「ウチで働かない?」
「はいっ?」
聞くとちょうど男性社員を募集していた矢先のことらしい。 社長の話を聞いていた私は、だんだん「その気」になってきてしまった。まったく不動産屋は話がうまいよ。すぐその気になってしまう私も私です‥。
結局、私はその不動産屋で働くことになってしまった。いわゆる町場の不動産屋であり、規模は前回勤めていたところ同様小規模だ。違うのは、前は注文住宅だけの販売であったが、今回は、賃貸・売買なんでもアリという点だ。
小さなところなので、社員は社長と賃貸の女の子一人、そして私の3人だ。時には、私が賃貸の案内に出ることもあった。
なんでも興味深いのは、最初のうちだけである。入社すぐに賃貸のお客さんを決めたりして、それなりに役割は果たしていたのだが、大体仕事の内容が分かり始めると、またいろんなことを考え始めてしまった。また悪い病気?が発病したようだ。
当時私は、休みの合間を利用し、結構いろんなセミナーに顔を出していた。不動産関連が主だった。そうしたうちに、ムクムクと頭をもたげてくるのは、
「自分で独立してやってみようか‥。」
という気持ちであった。いくつかのセミナーを通じて、自分ならこうしてみたいというプランが浮かんでからは、会社での仕事もあまり気持ちがのらなくなってきた。
【気が付いたら即、行動にうつす。】
これは私の信条でもある。公務員という超安定職業を辞めてから、私に怖いものはなかった。申し訳ないと思いながら、自分の想いを実行に移すべく、私は入社から3ヶ月でその会社を辞めたのであった。
ああオレよ、どこへ行く。流浪の民、「あ」屋そうさ‥。
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