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あもじ物語 「あ」屋代表そうさ 激動?の半生を語る!


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【幼少〜大学時代】 【教員時代】 【流浪時代】 【会社創設時代】 【かけだし時代】 【「あ」屋黄金?時代】

匝瑳(そうさ)和幸、千葉県八日市場市に生まれる。ヨウカイチバというフレーズを「妖怪千葉」と聞き覚え、幼い頃から思いこみの激しいところがある性格は現在も否めない。ただ単純な性格といってしまえばそれまでだが・・。


父親の職業がら転勤が多く、その結果ばつぐん?の適応力を身につけるに至る。これまでの引越数14回は、けっこう誇れる数字では?


小学校時代は、スポーツ少年であった。サッカー・野球に精を出す日々。学校ではやんちゃ坊主で、相当先生の手を焼かせた。学生時代は「いい先生」に恵まれず、たたかれ、殴られた思い出がほとんど・・。ものさしで頭をたたかれ、往復ビンタやき強れつなゲンコツは当たり前。今なら全員クビだぞ!


なまいきにも小5の頃、新卒の女教師が子ども達になめられる姿を見て、「オレならこうするのに・・」と学級経営のビジョンを描き、将来は教師というぼんやりとしたイメージをいだく。普通は「いい先生」にめぐり会えことが教員志望のきっかけになったりするのに、やはり「普通」ではなかったか!?


結構当時は目立つことが好きで、授業では活発に発表した。その点はワルでありながら、先生からかわいがられた記憶あり。乗せられ、調子にのって、学級委員長なんてやっちゃったりしたことも。

年子の兄と3歳ちがいの妹がおり、3人は小学校時代めちゃくちゃ足が速く、当時「ソーサ3兄妹」と呼ばれ恐れ(?)られていたものだ。みな自己主張が強く、家ではケンカばかりの記憶しかない。この劣悪なきょうだい関係から、集団生活のイロハを学んだといっても過言ではない。


中学校では文武両道で勉強・サッカーに打ち込む日々。今考えるとかなり真面目な生徒であったと思う。やはり殴られはしたが・・。暴力教師のなんと多かったことよ。

部活で外を走り回ることは大好きであったが、筋トレなど自身の肉体をいじめることは嫌いであったために、体育会系の部活のあり方に違和感を覚えるようになったのもこの頃である。スピードだけでなく、筋力・体力がないと体育会系の部活では生き残れないのである。

しかし、外を走り回る魅力には勝てず、地元の県立高校へ入学後もやはりサッカー部を選択。昼休み筋トレに精を出す仲間を後目に徐々に音楽活動にひかれていくのであった。

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思えば音楽と出会いは小5の頃。今にして思えば、フォークギター2人にドラムス1人という妙なスタイルの「アリス」というバンドにひかれ、アルバム全部を聞きこむにいたる。その後対象は、「モンキーズ」「サイモン&ガーファンクル」「ビートルズ」「ローリングストーンズ」と洋楽で推移。


高校時代の文化祭。体育館にて全校生徒の前でS&Gの「サウンドオブサイレンス」を歌ったのが、初舞台。以後、サッカーより、音楽中心の生活に傾くことになる。


大学時代はストーンズのコピーバンドを結成。長髪・上半身裸で学祭やライブハウスで飛び跳ねるという「珍行」もくり広げたことも・・。


中2の時に買った「モーリスギター」は今でも宝物。大学時代、皆が帰省した下宿にひとり残って、夜通しギターをかき鳴らしたことも。しまいには隣アパートの住人から「うるせいぞ!そこのミックジャガー!!」と怒鳴られる始末・・。ばかでアリマス。

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大学時代の下宿は、今考えたらとんでもない代物だった。いわゆる共同下宿というヤツで、風呂・トイレ・ガスレンジ・流しが共用。部屋は4帖半一間で何もなし!こたつを置いたらそれで満室だ。いわゆる「コタツムリ」となり、手をのばせば何でも届く、別の意味では便利な空間でもあった(などと本当は全く思ってない)。


たったひとつの風呂は、毎日争奪戦。なぜなら一定の容量をこえると、途中からお湯が水になってしまうのだ!真冬に浴びていたシャワーが途中から凍るような水に変わることくらいミジメなことはない。


湯船につかりたい場合のポイントはただひとつ。二番風呂をねらうことだ。一番手は浴そうの掃除を行い、お湯をためるという面倒がある。かといって4,5人入った後ではドロ水状態だ。したがって清潔かつ温かな思いをしたければ、二番目に入るのがベストなのである。下宿人は部屋の戸をそっと開けておき、一番手が出る気配をひっそりとうかがう。そんな環境に4年間いたことを思うと、今更ながら悲しくなってしまう。


これといった「目標」がない大学生活は自堕落の日々。授業はサボってばかり。自慢ではないが試験という試験はすべてカンニング。下宿では歌うか飲むか、はたまた「打つ」か(マージャンです。ちなみに‥)の毎日。いまだに、時々単位を落とす夢を見て、うなされる自分が恥ずかしい。

金なく貧乏であったが、一番自由を満喫できた下宿時代。親に感謝!

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就職活動はこれといって何もせず、皆がバタバタと動き回るの見てようやく思い腰をあげる。教員以外に自分は何がやりたいのか慌てて考えてみるが、当然思いつくはずもない。「やはり教育学部だから先生か・・」あまり前向きとは思えない発想で、教員採用試験の勉強を始める始末であった。


ひとつ目標が決まると、持ち前の思いこみの激しさで集中して勉強したのが良かったのか、採用試験には一発合格。他の就活は一切行わず、教員試験一本で臨んだことは、今でもうまく説明ができない。やはり小さな頃から将来は教師になるという「漠然とした思いこみ」が、自分の深層部分を支配していたのだろうか。
「オレは受かるべくして憂かったのだ!」ああ、勘違い男よ・・。

(続きへ)